ワンドロ加筆2/33
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「俺なんて誰にも必要とされていない」
「俺が必要としてるよ」
簡単に、君はいう。
わかっているのだ。
社会の荒波に揉まれて、というなら就職を目標とせず音楽で生きていくと決めた彼はよっぽど俺よりも苦労しているだろうし、謂れのない事も言われてきただろう。
俺が俺を否定するたびに、馬鹿だなって、君が肯定してくれるから、俺は俺にひどくあれるのに。
21連勤目を更新し、徹夜は3日目。
そんな状況で取引先に行けと命ぜられて。
いざ赴いてみれば上司の確認漏れからの受注ミス。
俺が怒られる必要なくないか?なんてことは言えないし言わない。
ひたすらに土下座と謝罪を繰り返して1時間。
ようやっと納得してくれて会社に帰ってみれば積み上がった書類はさらにうず高くなり、今日も帰るのが遅くなりそうだ。なんてため息をついた。
それでも、ちょっと今日はいっぱいいっぱいだったから。
22:00を過ぎて事務所に誰もいなくなって。
自分のところにだけぽつねんとあかりが灯されたままなのがなんとも悔しくて。
明日の俺にごめんと謝って会社を出た。
会社を出てほど家に近い場所にその飲み屋はあって
今日みたいなこんな日は特にその居酒屋が恋しくてゆっくりだが急いで向かう。
ガラリと扉を開けば深夜を過ぎてからラストオーダーの店はまだ客で賑わっていて、いらっしゃいませ、の声にいつもの場所に腰を下ろす。
カウンター席の端っこ。
馴染みの店員さんに温かいお茶と唐揚げ定食を頼んで、渡された温かいおしぼりで顔を拭いてほうと息を吐く。
若い頃はオッサンみたいな真似絶対しないと思っていたけれど、その時はその時だ。
飲みやすい温度のお茶を一口飲めば、よほど疲れていたらしい身体がわずかに緩むのを感じる。
本当は酒を飲んで騒ぎたいけれど、明日も出社なことを考えるとどうしても手が出ない。
お通しと言われて出された白和えを味わっていると、後ろから聞きなれた声がした。
「あれぇ?カラ松さんじゃん。今日仕事あがれたの?おつかれ」
人懐っこく笑う、紫の髪の青年。
手洗いから戻ってきたのか、手の幽霊のように前に出している彼を見てポケットからハンカチタオルを手渡す。
ごめんね、あんがと。
そう言って手を拭う彼にへらりと笑いかけてからキョロリと店内を見る。
「今日は打ち上げか?」
「うんにゃ、普通に飯食いに。」
彼がいるのなら騒がしい他のメンバーもいるのかと思ったのでそうか、と告げれば彼の後ろの座敷を指して
「俺らは流石にあっちだよ。ここじゃ食えないデショ」
「そういえば人気ものだもんなぁ」
「えぇ、カラ松さんそれはちょっとひどくない?一応オリコン上位にも入ってるんですけど」
「はは、すまないなぁ。最近テレビをつけた記憶もないから」
「なに?まぁた無理してんの?何連勤目?」
「21、かな」
「カラ松さん、今日送ったげるから俺らんとこいこ。家でマッサージもしてあげるから」
「それは大奮発だなぁ」
「そうそう。カラ松さんが自分のこと大事にしないから、俺が大事にしてあげんの」
唐揚げ定食の乗ったトレイと温かいお茶、それから俺の荷物を持って襖の閉められた座敷の席に入る。
「Oh、帰ってこないと思ったら、カラ松さんがいたのか。こちら側を開けよう。壱もそっちに座るんだろう?」
紫の次に見慣れた艶々とした黒髪に入った青のメッシュ。
手際良くテーブルの上のものを入れ替えて俺に場所を譲ってくれる。
「すみませんお邪魔します。」
「いいさ!壱も最近会えていないと拗ねていたしちょうどよかった!」
そう言って爽やかに笑う彼は壱君の兄弟の顔をしている。
ステージ上では自信に満ち溢れて横文字たくさんな台詞を述べるが、今の彼にそれはない。
「カラ松さん、これ別に料理の大根おろしとポン酢なんだけど、唐揚げにかけて食べてみな。多分消化にはいいから」
自分たちが頼んでいたメニューからいくつか消化に良さそうなもの、栄養がありそうなものを選ぶ壱君は何やら楽しそうだ。
ご飯、味噌汁、唐揚げ3個にキャベツと漬物。
それだけだったトレイに厚焼き卵とサラダについていたであろうトマトそれからそれから。
少し胃が苦しいかも、と告げれば残していいよと言われて、どうするんだろうとみていれば子供の食べ残しを浚う母のように全て綺麗に平らげられた。
「人の食べ残しに抵抗ないのか?」
「いや?他の人とかなら箸の貸し借りも嫌だしシェアもしないけど、カラ松さんだし。」
ぽかんと口を開けていればポンポンと頭を撫でられる。
あ、ばか、やめろ、くそ
「カラ松さん、お疲れ様。今日も頑張ったね、えらいえらい」
壱君は俺に会うたびに俺を甘やかす。
俺が何度自分を否定して、取引先からの会社からも否定されて落ち込んでも、
たった一言の肯定で俺を掬い上げてしまう。
「カラ松さん、君はいつもがんばり過ぎている。少しは我が弟の我儘に任せて体を休めるべきだ。なぁ壱」
「ふっ、クソ架羅の割にいいこと言うじゃん。ね、カラ松さん。俺来週オフなんだ。旅行行こうよ、温泉。ゆっくりはね伸ばそう?」
「温泉、行きたいなぁ」
ボロボロと涙流れるのも気にしない。
うん、きっと疲れてるんだ。
仕方ないよ、涙が止まらないのも、きっとそういうことだよ。
そうやって自分の中の疲れた自分に今まで向けてこなかった視線を向けたら、なんだか頭がくらくらして。
次に目を覚ました病院の一室で過労で倒れてストレス性の胃炎を発症していたのがバレて、実は取引先の一つだったという壱君たちの事務所の圧力もあって、俺は念願の温泉旅行に行くことができたのは、また別のお話だな。